愚痴と悪口の違い――コーチングセッションにおいて
銀座コーチングスクール(GCS)広報チーム 森水三香子です。
コーチングをしていると、クライアントが誰かに対する不満を語る場面によく出会います。
その内容はときに「愚痴」として、またあるときは「悪口」として私たちの前に現れます。
コーチとして、これをどう受け止め、どう扱うかはとても繊細で重要なテーマです。
つい先日も、あるクライアントがこんな話をしてくれました。
「長年の友人がいて、すごく大事な存在なんですけど。。
最近、会うたびにある知人の悪口を延々と話すようになってしまって。
私はその知人のことはよく知らないので、正直、ただ聞いているだけでぐったりしてしまうんです。」
彼女は、「友達のことは好き。でも、その場が終わった後は顔が真っ青になるくらい疲れてしまう」と言っていました。
実際、ある日ランチから帰った彼女にお子さんが「ママ、どうしたの?幽霊でも見たみたいだよ」と声をかけたほどだったそうです。
このエピソードを聞きながら、私自身もふと昔の自分を思い出しました。
かつて、私も親しい友人との関係の中で、似たような体験をしたことがありました。
相手の話を聞きながら「これって、ただの愚痴?それとも誰かを貶める悪口?」と
心の中で整理がつかず、モヤモヤした気持ちが残ったまま疲弊して帰宅したことがあります。
では、愚痴と悪口は何が違うのでしょうか。
私がセッションを通じて感じるのは、「愚痴」は自分の内面に向いていることが多い、ということです。
「こうしたかったのにできなかった」「もっとわかってほしかった」
つまり、相手への不満を語りながらも、その奥には自己理解のプロセスがあります。
一方で「悪口」は、その矛先が完全に相手に向いています。
否定、批判、嘲笑。その言葉には相手を下げることを目的としたエネルギーが含まれていて、
聞いている側に重たい感情を残します。
している本人も、本当の意味でスッキリしていない場合がほとんどです。
冒頭のクライアントも、「愚痴なら聞けるけど、悪口になると本当にしんどいんです」と言っていました。
そして、「会う前から気が重くなる自分が嫌で、できれば楽しく会いたいのに」と。
大切なのは、相手の言葉の中に自分がどう反応しているかに気づき、
必要であれば適切な距離を取ることや、相手に伝える勇気を持つことだと彼女自身が最後に言葉にしていました。
コーチとして大切なのは、愚痴や悪口を「良し悪し」で判断せず、その奥にある本音やニーズに耳を傾けることです。
共感しながら、「そのとき、どんな気持ちでしたか?」「本当はどうしたかったのですか?」と問いかけてみる。
そこから、クライアント自身が新たな選択肢や行動に気づいていくことができるのです。
「誰かの話を聴く」という行為は、ただ言葉を聞くのではなく、そこにある「意図」と「エネルギー」を感じ取ること。
愚痴と悪口の違いを丁寧に見分けることは、より深い対話へと導くための大切な力になるのだと、あらためて思います。